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 ■ヨーロッパトゥデイ
 

 奇跡の血筋は愛憎を超えて…  デズメット&マタイスからルフェブル
 &ダーネンスに受け継がれた、クラーレンの真髄  (後編)

 独立独歩の道を歩み始めたルフェブル&ダーネンスでは保守された、類稀な俊鳩としての資質。その資質は年々深化を続け、やがて数々のゴールデンペアへと継承された。そしてついに日本へ…。在来系を前から牽引し、後ろから押し上げたクラーレンの血統は日本鳩界にとって、まさに“黒船”だった。

 まさに掌中の珠のような鳩を抱えるダニエル・ダーネンス(右)とロジャー・ルフェブル(左)
 
 運命的な別れと出会い

 捨てたのか、捨てられたのか、さもなくば失ったのか―?
 ファレーレ・デズメットの娘とロジャー・ルフェブルとの恋の顛末は、余人には決して窺い知れない、深い闇の中だ。我々が知っているのは、婚約まで進んだあげく何故か破綻したということと、ルフェブルがデズメット&マタイス鳩舎の後継者にはなり損ねたが、その手にクラーレンの血をひく鳩が残ったという結果だけだ。
 ただ、“恋”にまつわるエピソードなら、ルフェブルがらみでもう一つ、我々は知っている。ルフェブルの妹イヴォンヌとある男が恋に落ち、やがて結婚したという事実だ。
 その男とは、ダニエル・ダーネンス。その後ルフェブルと共同で動物用の食品会社を興し、さらに共同で鳩舎を営んでいくことにもなる、妹ばかりでなく兄にとっても生涯の相棒となった男だ。
 ファレーレの娘とは破局し、鳩舎間の交流も先細りとなった。
 一方、自分の妹とダニエルの恋は実り、その義弟とは共同鳩舎を営む間柄になった。
 この2つの事実に何らかの因果や関連性を見出そうとする試みは、非礼であるばかりでなくまったくの徒労に過ぎない。どんな推論が導き出されようと、それは事実無根の妄想の枠を出ないからだ。
 そのことは重々承知してる。だからここに埒もない憶測を書き連ねようとは思わない。が、しかし、この経緯に人生の綾というか皮肉というか、不思議な因縁を感じてしまうことは否めない。

 
 脈々と伸び広がる血の系譜
 時に結びついたり、解れたりしながら複雑に絡み合う人間模様とは裏腹に、その“渦中”にいた鳩はクラーレン本来の特性をストレートに受け継いでいた。その血筋は、ルフェブル&ダーネンス鳩舎の基礎鳩に、さらにはそれらを掛け合わせたゴールデンペアに脈々と引き継がれていくことになる。
 順を追って血筋をたどってみよう。血筋をたどる、という表現は人間の場合、子孫から先祖への向きになるのが普通だろうが、この場合は逆方向だ。
 ルフェブル&ダーネンス鳩舎の基礎鳩は8羽。その内、5羽がデズメット&マタイスの血統だ。クラーレンの血が流れているのが、その五羽の内の3羽で、もっともその血を濃く継承していると思われるのが、“ド・カプーン”と“ヘット・カプーンチェ”の2羽。両鳩は全兄妹だ。
 “ド・カプーン”はデズメット&マタイスの“カプーン”の直子。母親はクラーレンの直娘である“ヘット・プリンセスチェ”。カプーンはクラーレンの曾孫にあたるので、曾孫と娘の近親配合だ。
 このド・カプーンと、同じく基礎鳩の一羽である“ヘット・クレインチェ”がルフェブル&ダーネンス鳩舎にとって記念すべき最初のゴールデンペアとなる。
 ルフェブル&ダーネンスは1963年にレースを始め、65年から中距離レースにターゲットを定めた。そのタイミングで種鳩ラインを整備し、68年に満を持してチャンピオンシップ1位を獲得。手元に詳細な資料がないので断言は出来ないが、最初のゴールデンペアのラインはその偉業に多大な貢献をしたと思われる。基礎鳩の生年から見ても、主力となり得たのはそのラインしか見当たらないからだ。本来なら思いのたけをこめてこう言いたいところだ。
 “クラーレンの血が成し遂げた”と。
 中距離はまさにクラーレンのホームグランドだったのだから。
 
 黎明期の日本に黒船来航

 68年のチャンピオンシップ1位獲得から始まったルフェブル&ダーネンスのサクセスロードは、年々その道幅を広げながら現在へと続いていく。
 69年には優勝9回、ワーレゲムの“ポストダイフ”チャンピオンに。
 70年には同じく“ポストダイフ”チャンピオン、ズルテの“レイ・ブリーヘル”ジェネラルチャンピオンに。アングレームNの1歳鳩部門では9位に入賞。
 71年にはワーレヘムの“ド・ウェルクマン”、“フィルフェボント”、“ド・アンドラクト”のすべてでチャンピオンになり、さらにディンゼ中距離クラブでもチャンピオンの称号を獲得。
 その年と73年のレースシーズン終了後、ルフェブル&ダーネンスは手持ちの鳩をオークションにかけている。そのためまずベルギー国内のフライターの間で彼らの血統はもてはやされるようになり、その余波が75年にはついに日本にまで及ぶようになった。
 日本の友人から聞いた話だが、当時日本は鳩レースにおける急成長期を迎えていた由。鳩界先進国である欧米諸国から銘鳩、俊鳩の血が次々と日本に導入され、記録の伸長や鳩質の改良などあらゆる面で格段の進歩を遂げている最中だったという。放鳩車を含めた放鳩施設が整備され始めたという事実も、関係者の意識の向上を示している。
 画期的なトピックを拾い上げるなら、73年に日本鳩レース協会とピジョンジャーナルクラブの共催で始まった日本ピジョンオリンピアードが、翌年には鳩協と日本伝書鳩協会の共催にスイッチ。協会の壁を越えた「全国銘鳩展」は国境をも大きく跨ぎ、フライターたちの話題をさらったとのことだ。
 この時期にクラーレンの血統が日本に届いたのは、まさにタイムリーだったと言える。むろん当初はルフェブル&ダーネンスの知名度の低さゆえに出足は鈍かっただろう。だが、クラーレンの血筋は総じて早熟で、実力を発揮するまでに時間をさほど要さない。レースで目覚しい実績を挙げ、関係者の耳目を引き付けるようになるのは、それから間もなくのことだ。なんと同じ75年には早くも商品価値が高騰したというから、その活躍ぶりは推して知るべしだ。日本のフライターにとってクラーレンの血筋の上陸は、黒船の来航に等しい一大事だったのではないだろうか。

 
 速い、落ちない、更に馴染む

 90年代に入ると、ルフェブル&ダーネンスはますます隆盛を極める。90年代だけで優勝すること実に81回。そんな勝利の方程式になったのが、ゴールデンペアT、U、Vだ。
 そのすべてにクラーレンの血が多角度から織り込まれていることは言うまでもない。クラーレンの本家であるデズメット&マタイス鳩舎が完全な長距離志向にシフトしたのとは対照的に、3組のゴールデンペアは頑ななまでに本来のスピード性を保持し続けた、努力と創意工夫の結晶だった。
 これら3組の配合は、ゴールデンペアの名に恥じない成果を生んだ。エースピジョン級の俊鳩を引きもきらずに輩出しただけではない。スピード性と並ぶクラーレンの真価というべき無類の安定性(高帰還率)を、そのいずれもが備えていたのだ。
 残念ながら手元には90年代から2005年までの優勝記録しかないが、このリストに入賞記録を重ね合わせたら、読み手に与える衝撃は数倍のものになっただろう。
 ほんの1例をあげよう。ゴールデンペアTの孫で優勝3回の実績を持つ“ド・ヴィットペン”に、ゴールデンペアUのラインをクロスして生れた“オデール”。彼は6年間のレース歴で優勝すること2回、他に入賞すること21回。03年のリモージュで優勝した“ボンジェ”はゴールデンペアUの3重近親で、入賞実績22回。T、U、Vのすべての血を引く、まさにゴールデンペアの申し子というべき“ド・スコーネン”は優勝実績こそないが、4年間のレース歴でナショナル入賞4回を含め、26回も入賞を果たしている。優勝回数と入賞回数の差に注目して欲しい。
 どんな悪条件に見舞われても帰ってくる。優勝ができないときでもコンスタントに入賞を果たす―。6年間のレース歴で67回のレースに参加し、優勝を含めてその内65回で入賞したクラーレンを、まさに彷彿とさせる資質である。フライターにとってこれほど頼もしい特性が他にがあるだろうか?
 特筆すべき長所はまだある。他鳩舎にトレードしてもその場に馴染みやすく、異血と配合してもいわゆる“ハズレ”が少ない、親和性・順応性だ。
 そのため欧州各国はもとより台湾や日本でも、ゴールデンペアの血統は安心して導入されている。この親和性・順応性の高さもまた、クラーレンの遺伝力の強さの賜物だと私は考えている。付け加えるなら、他鳩舎の銘血を積極的に導入し、自由闊達な発想でラインを強化・整備してきたルフェブルとダーネンスの柔軟性が反映された結果でもあるのだろう。

 
 銘血は永遠に老いず…

 稀代の銘鳩・クラーレンの血筋を追いかけ、2回の連載で半世紀あまりを筆先で大まかになぞってみたが、その間につくづく痛感したのは、銘鳩の血は決して朽ちないということ。
 クラーレンの“生みの親”であるファレーレ・デズメットはすでに物故し、この稿の副主人公というべきロジャー・ルフェブルは現在79歳、ダニエル・ダーネンスは68歳。いまだ矍鑠としており、その活躍ぶりは壮者をしのぐ2人だが、老いの兆しは隠しようもない。
 しかし銘血は老いない。人間たちの骨身を削るような努力に支えられて進化、あるいは深化し続け、連綿と後世へ受け継がれていく。
 ピジョンスポーツには、見方によっては残酷な側面があることは確かだ。海越えの長距離レースに投入された鳩は、その9割が失踪してしまうこともある。愛鳩家では名フライターになれないという説もある。人間のエゴが鳩レースを運営していく上での、原動力の1つになっていることは否みようがない。
 だが、銘血の保全に心を砕いている人間たちはやがて老い、そして死ぬ。もし血筋が途絶えて惜しまれるとしたら、名鳩舎の血筋ではなく銘鳩のそれだ。鳩界史から要点だけを掬い上げると、まるで人間が鳩に仕える従者のように思えるときもある。だが、それが真実の1面だとしたら、フライターならあるがままを受け止めざるを得ない。銘血の十字架はそれほどまでに重いのだから…。

 
★ルフェブル&ダーネンスが誇る1990年代のゴールデンペア★
 
●ゴールデンペアT
 父/“ド・ヨンゲ・フォールト” B83-4214156
    KBDB中距離Prov.エースピジョン4位
   祖父/“ヨンゲ・フェルハイエ” B71-4149602
       ド・ヨンゲ・ブリクー×ヘット・フェルハイエ・ダイフィネケ
   祖母/“ブラウ・トゥーケ” B78-4211054
       トゥーリー(ツール優勝)の娘
 母/“ブラウ・ウルベインチェ” B87-4208159
    ヘベレヒット・オクタフ&クリスのライン

●ゴールデンペアU
 父/“ツールU”B85-4017599
    ツールProv.2,512羽中2位
   祖父/“ズワルテ・オリバー”B79-4337047
       ヨンゲ・フェルハイエ×KBDB長距離N
       エースピジョンProv.1位の姉妹
   祖母/“ヘスケルプト・フェルディチェ”
       B83-3045680 父は“カプーン”の娘
 母/“リヒト・ヘスケルプテ”B3197951
    ヤンセン系のデセイン・ファンデミュールブ
    ローケのゴールデンペアの血

●ゴールデンペアV
 父/“ステルケン”B89-4191488
    ゴールデンペアTの直子
 母/“ブラウ・リンブルク”B90-2551880
    エリック・リンブルフ作
    KBDB長距離NエースP1位の全姉妹
    BDS長距離NエースP1位、2位の全姉妹

 
 
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