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その姿はまさに宝石だった。純血ゆえの鳩質の高さが内側からきらめきを放っている。祖父・ファンブリアーナがサクセスロードを歩み始めてから80年
― 。偉大な足跡を残した先祖たちの血はいまだ限りなくピュアなまま連綿と紡がれている。

“宝石”から生まれた俊鳩“ルナ”を掴むパトリック・ファンブリアーナ氏
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成功の扉を開けた“臆病者”
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“ファンブリアーナ”の歴史は長い。
創始者であるアンドレがピジョンレースに手を染めたのは、彼が16歳のとき ― 今から80年以上前のことだ。
以来ずっと超一流であり続けているこの名門中の名門ロフトを、限られたスペースの中で紹介するのは難しい。書くべきトピック、いや、書き漏らしてはいけないトピックが多すぎるからだ。実際、このロフトから輩出された銘鳩とその翔歴、バックボーンなどを残らず書き連ねていったら、1年の連載でもまだ足りないだろう。従ってここでは、この名門をずっと憧憬に近い眼差しで見守ってきた私の個人的な視点で語りたいと思う。
ファンブリアーナと言えば、“全鳩の父”と称される伝説的銘鳩“オード・スティール”がつとに有名だが、そもそも私がこのロフトに関心を抱くようになったきっかけは彼ではない。その父鳩にして3組6羽の基礎鳩の1羽でもある“スクーヴェン”だ。
気性が荒く、体型も貧相で腰高。種鳩としても不適格で、失踪歴があるためレーサーとしても使いづらい。誰からも忌み嫌われたあげくスクーヴェン(臆病者の意)などという実像とは食い違った蔑称をつけられたこの厄介者が、捨てられたような格好でアンドレのロフトに来るやたちまち4勝を上げた
― というエピソードは今、読み返しても胸が高鳴る。もちろん種鳩としても無類の才能を示し、ついにはアンドレをして「(スクーヴェンがいると)鳩レースとはこんなにも簡単で、楽しいものだったのか」と言わしめたこの鳩のことは生涯忘れないだろう。
スクーヴェンに比べると私の中ではオード・スティールの影は薄い。クレルモンからオルレアンまで優勝を重ねた偉大なCHであり、4羽のスーパーAPを輩出した偉大なブリーダーであることはむろん重々承知している。だが、父のようなアクがなく、そこがまだ若かった私には物足りなかったのかもしれない。
印象の面ではむしろ4羽の直系APたち ― ヨング・スティール、ターザン、ズワルテン、コピーらの方が強い。なかんずく直子のヨング・スティールと孫のターザンは、それぞれ52年ポーNと53年サンセバスチャンINというビッグレースにおいて当日1羽帰り優勝という離れ業を演じており、私の記憶ばかりでなくベルギーの鳩史においても輝かしい足跡を残している。
これがいかに大変な記録か、日本の友人たちに説明するのは難しい。ベルギーでは当時からすでに序列上位に来る鳩には能力的な優劣がほとんどなく、また地形も日本ほど複雑でないためある地域のみ特別に有利という条件は生じ得ないからだ。事実、当時のベルギーでは1羽帰りは皆無に近く、同じ鳩舎が2度も記録したケースに至っては未曾有だったのではないだろうか。
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目に見える遺伝力の強さ
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ファンブリアーナには共にオード・スティールを頂点に戴く2筋の大きなラインがある。ヨング・スティール…ファボリー…ジモンディ…ヨング・エレクトリックへと続くラインと、ターザン…ローレア…エレクトリック…バルセロナU…ジュウェルへと続くラインだ。両ラインとも数え切れないくらいのAPやCHを輩出した常勝ラインであり、記憶にまざまざと残っている俊鳩も多い。だが、私にとってもっとも印象深いのは、アンドレ・ファンブリアーナ本人に他ならない。60年代の終わりにファンブリアーナのロフトを取材で訪れ、アンドレとじかに語り合った経験は、かけがえのない宝物として胸の奥にしまい込まれている。
アンドレは少年の心を持ち続けた男だった。鳩レースに全身全霊を注ぎ込んだ情熱家であり、些細な瑕も無視できない完璧主義者であり、また1羽1羽を芸術品のように仕上げる芸術家の1面もあり、優勝をゴールとせず常にその先を見つめ続けた姿勢には求道者の趣もあったが、胸の底には鳩レースを始めた頃の初心を最後まで抱き続けていた。
それだけに感性がみずみずしく、何をするにも慎重だった。例えば初期の頃の話だが、ファンブリアーナ系は悪天候に弱かった。好天であれば当日1羽帰りに代表されるような、最高水準のラインからさらに頭1つ抜け出すようなスピード性を発揮するのだが、天気が崩れるとどうも結果が芳しくない。その欠点を、アンドレは悪天候に強いと評判だったスティッケルボード系のCHをクロスすることで補ったわけだが、その手順が煩雑極まりない。純血の図抜けたスピード性と帰巣本能、そして純血ならではの遺伝力には絶大な自負があり、純度の保守にはことのほか心を砕いているためだ。
何枚かの血統書を見ながらその1例に関して説明を受けたのだが、ここに詳細を記す自信はない。私に理解できたのは、途方もない時間と手間をかけて、交えては戻し、戻してはまた交えるいう作業を、何世代にもわたる遠大な構想のもとで行った、ということだけだ。近親交配に関しては異血を交える場合のみならず、例えば他のロフトで目覚しい活躍を見せた自系統の鳩をわざわざ買い戻して掛け合わせる、という形も含め、頻繁に行われている。純度はおそらくパーセンテージで細かく管理されているはずだ。
そこまで純系にこだわる姿勢がどのような結果を生むか。優勝実績などの言わば抽象ではなく、具体を目の当たりにしたのは取材中ロフトに案内されたときだ。
スクーヴェンに一方ならぬ興味を抱いたことで、ファンブリアーナに関しては他の誰よりも深く研究したとの自負が当時の私にはあった。手に入る関係書類は残らず読み漁り、銘鳩の写真があれば必ずそれを目に焼き付けたのだから、あながち大げさではない。どんな鳩が話題に上っても深い話ができる
― 。自負心と期待感で胸を膨らませながら、私はロフトに足を踏み入れた。
ところが「これがエレクトリックだ」とアンドレから説明を受け、鳩を手渡された途端、私は絶句した。その鳩がかの“ターザン”だったからだ。
むろん誤解したのは私の方であり、理性はそれをすぐに認めたが、驚きはなかなか収まらなかった。ファンブリアーナには大雑把に言って2つの基本羽色があり、同系統の中には目を疑うほど似ている鳩がいることは先刻承知だった。それが遺伝力の強さの証明であるという認識もあった。だが、まさかこれほどとは…。姿形や羽色だけではない。顔立ち、表情までが瓜2つだった。よく見れば目の脇にわずかな違いが見られるが、全体的な印象としては両鳩は生き写しだった。
ターザンとエレクトリックの間には何世代もの隔たりがあり、その間には当然異血も混入しているはずだが、きれいに消化されて外見に痕跡を残していない。先祖たちの優れた資質が毛ほどもスポイルされなかったことは、姿形を見れば明白だ。私はアンドレが訝るまで、呆然と口を開け続けた。
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| 純血のみが持つ至高の輝き |
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あれからおよそ40年。アンドレはすでに物故し、2人の孫が遺志を継いでいる。創立者が偉大すぎたため、また跡を継いだ2人が若すぎたため、世間では存続を危ぶむ声が多かったが、私に危惧はなかった。アンドレがこの世を去ってから1年ほどして孫の1人であるパトリック・ファンブリアーナの鳩舎を取材し、“ジュウェル”という1羽の鳩を掴んでいたからだ。
“ジュウェル” ― 。その名の通り宝石のような鳩だ。おそらく目がきらびやかなことに由来する命名だろうが、私には体全体が光り輝いて見えた。前述したターザン…ローレア…エレクトリック…バルセロナUへ紡がれたラインの末だが、そんなバックボーンを知らなくてもターザン以下のどれか1羽でも良く知っている人なら一瞥しただけでファンブリアーナ系の宝物だとわかるはずだ。
玉石混交という言葉があるが、純度の高さを頑なに守り続けている系統ゆえ
“石”が混じる比率は極度に低い。パトリックのロフトも見渡す限り“玉”ばかりという按配だったが、中でもジュウェルはまさに珠玉の部類だった。元々種鳩として作出されたため翔歴がなく、特にスポットを浴びる存在ではないが、私は瞬時に確信した。間違いなくファンブリアーナの歴史に名を残す銘ブリーダーになるはず
― 。
― 自慢話になるので記しづらいが、予想は違わなかった。以来ジュウェルは毎年のように大レースにおける最上位入賞鳩を輩出し続けた。代表例といえば、やはり“ランゲ・スティール”という名の好伴侶とのカップリングから生まれた“ルナ”になるだろう。2歳のときにバルセロナの大空を雄飛し、参加羽数2万羽を超えるINの序列で見事4位に入る大活躍をしたのだから異論はないが、鳩質という点では他の直子たちもまったく引けはとらない。少なくとも私の目には、ほとんどが母親と同じように光り輝く“珠”に見えた。1羽だけが飛びぬけて素晴らしいという事態は、ファンブリアーナの純系では起こりえない。それはヨンゲ・スティールとターザンという1羽帰りの奇跡を起こした両鳩を見れば明らかだ。奇跡も2度起こればもはや奇跡とは言えない。純系を守り続ける限り、遺伝力という必然を武器にファンブリアーナはこれからも雄飛し続けることだろう。
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