距離に応じて8つのセクションに分けられ、極めて厳正に勝敗が争われるブロアNPOナショナルレース。今年の参加総羽数は実に6万8千羽! セクション優勝でも大変な名誉になるハイレベルなレースゆえ、当然、各鳩舎は選りすぐりの精鋭たちを送り込むことになるが、その中に1羽、途方もないリスクを背負って出場した俊鳩がいた…。
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2戦連続優勝の“暴挙”
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寄る年波ゆえ、体のあちらこちらに衰えが生じている自覚はあるが、これほどまでに自分の目と耳を疑ったことはかつてなかった。私は電話で情報をくれた相手に同じことを何度も聞き直し、またファックスに印字された同じ文字列を何度も見直した。
私を驚倒させたのは、他でもない、6月21日にブロアで行われたNPOナショナルレースの結果である。正確には、セクション7における優勝鳩の脚環番号“NL06ー5600483”
だ。
「正気か…」。慌てて住所録をめくりながら、私は思わず呟いた。本来であれば、それは開口一番、優勝鳩の持ち主であるヨス・ド・リーデルにぶつけたい言葉だった。だが優勝当日である。おそらくどんちゃん騒ぎの最中なのだろう。案の定、何度ダイヤルしても電話は繋がらなかった。
大レースで優勝し、参加羽数が6万羽を超える総合序列で最高分速を叩き出した相手の正気を疑うのは穏当ではないが、むろん理由があってのことだ。というのは優勝鳩“NL06-5600483”
(愛称・ヴィラーミラ)は、わずか1月前の5月17日に別のレースで優勝したばかりの鳩なのである。それも小規模なローカルレースではない。ムーランクールで行われた、参加羽数2万羽以上のナショナルレースだ。
ヨーロッパでは伝統的にエースピジョンを狙う傾向が強いことは確かだ。優入賞回数が両手に余る鳩も少なくはない。とはいえ、物事には限度がある。万羽レースで優勝した類稀な俊鳩を、ヒナも確保せずに次のレースへ投じてしまうのは、やはり暴挙としか言いようがない。
思い起こせば、ムーランクールでの優勝を取材した折、ヨスはピジョンスポーツにおける信条をこう語っていた。
「これ以上ないくらい単純明快だよ。“ドゥ・イット”。やるか否か迷ったら、やる ― これだけさ。もちろん裏目に出ることもあるけど、やらずに後悔するよりはるかにマシだからね」。
時折妙に子供っぽく光るヨスの眼差しを思い浮かべながら、私は深くため息をついた。
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その姿はさながら最新鋭戦闘機
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子供っぽい一面もあるが、ヨスは本来、非常に理知的で考え深い男である。ヴィラーミラを再度レースに投じたことはいずれにせよ無謀には違いないが、本人には100%に近い帰還の確信があったのだろう。信頼に値する系統であることは、前回の取材で私自身も承知している。
母方のベースになっているのは、クリンクハマー父子が誇るスーパー・カップル“222×680”だ。このカップルからは5羽のテレテキスト・ピジョンが生まれているが、ヴィラーミラにとって祖父に当たるNL00ー5056640はその中の1羽であり、万羽レースでの優勝を含め4回の優勝記録を誇るエースピジョンだ。実際03年にはセクション7におけるAP賞第1位に輝いている。この系統に、優勝3回の銘鳩“ド・フリッツ”のラインをクロスして生まれたのが、ヴィラーミラの母親ということになる。
ちなみにテレテキスト・ピジョンとは、序列パネルに名前が記録された鳩のこと。つまり大レースにおけるシングル入賞鳩の意味だ。
一方、父方は、G・コープマン×J・フェルカメンがベース。双方の粋を巧みに絡めた生粋の飛び筋で、アブリの万羽レースで優勝した“デン・リンズ・ファボリート”や、さらに上を辿れば優勝8回の“ヤスミン”、AP賞を3回受賞した“センナ”などの名前も見える。
血統背景を探っただけでも十二分に飛びそうなイメージが湧くが、実際にヴィラーミラを掴むとイメージはさらに“加速”する。速く飛ぶことを目的にモデリングされたとしか思えないその姿は、やや大げさに言えば、徹底して小型化・軽量化が図られた最新鋭の戦闘機さえ彷彿とさせる。
小柄で細長い体型、すこぶる頑強な骨組み、柔軟だが張りのある筋肉、そしてこちらも手触りは柔らかだが、同時にしたたかさをも感じさせる羽
― 。動きも俊敏で、そのため全体的に水準が高いヨスのロフトの中でも存在感が際立っていたことを覚えている。
ただ、目立ったのはヴィラーミラだけではない。Wシステムにおける彼女のパートナーであり、セクション7の第2位に入った“ピアー”(NL07ー1740736)もまた印象深い1羽だった。
ブロアNPO・Nの前にサンカンタン優勝を含め24回入賞し、昨年はCCGエースピジョン賞第5位に輝いた翔歴もさることながら、掴んだ感触もヴィラーミラにほとんど遜色がなかった。血統的にはロイド・センデン直系で、全兄弟には優勝2回の“スーパー873”がいる。ちなみにセクション7で4位に食い込んだ“フロレンティン”(NL07ー1846278)も同じ流れを汲んでおり、参加羽数の1%以内に5回、10%以内に7回と計12回の入賞歴を持つ俊鳩だ。
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自信の源は、万全の管理体制
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異なる系統の鳩が2位、4位にも入賞した事実が示している通り、ヨスは管理能力も抜きん出て高い。血統もそれぞれ素晴らしいが、レーサーたちの研ぎ澄まされた帰巣本能や、悪条件に対する適応力、耐久性といった底力は、献身的な管理の賜物だろう。
基本的にはWシステムだが、ヨスの場合は管理全般がとにかくきめ細かい。綿密なスケジュール通りにことを運ぶ一方で、時間さえあればロフトにこもって鳩の状態を観察し、日々微調整を繰り返しているのだ。とりわけ給餌に関してはこだわっており、ベースであるコープマン特製オールインワン(配合飼料)に、ピーナッツやキャンディシード、にんにく、ホワイトオニオンなどの補助食品や、有機酸、醸造イーストなどのサプリメントを調合する姿は、熟練の栄養士を連想させる。また糞の状態を確かめる目つきは、顕微鏡を覗く化学者のそれと変わらない。
もちろん病気対策にも抜かりはない。薬品の投与をなるべく抑えるため、レース前、レース中を問わず、かなりの頻度でわざわざベルギーの専門機関に鳩を持ち込み、細菌検査と、糞の分析、喉の検査を依頼しているとの由。
ヴィラーミラの主な翔歴の中で、特に入賞分速に注目して欲しい。耐久戦からハイスピード戦まで、どんな展開でも結果を出していることがお分かりいただけると思う。これはヴィラーミラだけでなくコロニー全体の傾向であるため、管理の勝利と言える。ヨスが帰還に絶対の自信を持っているゆえんもおそらくここにあるのだろう。
ただしレースは水物だ。最高の鳩を最高の状態に仕上げて投じても、リスクから逃れることはできない。この冷徹な現実に振り回されながら、フライターたちは年々歳々スキルアップしていくのだ。
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